武家言葉 


武家言葉ってのを考えてみよう。「〜ござる」等のアレである。


文語と口語

TVでよく「〜ござる」等といった武家言葉を使っているが、アレは何処迄信用していいものなんだろうか。実際に武士が喋っていた言葉と、TVの武家言葉とには、どれだけ一致するものが有るのか。
そう云う事を古文書等で確認しようとしても、日本語と云うのは旧来、文語と口語を分けて使っていた様であるから、文語調に終始する古文書から当時の話し言葉を確認するのは先ず無理であろうと思われる。
文語というのは、往古は「いとやんごとなき・・・」なんていうのから、近世の「尤もの覚悟にて候」なんていうの迄有るが、いずれも話し口調である「口語」とは全く違うものだろう。

それを時代劇等では、さも「こう喋ってました」風に武士の台詞が出来上がっている訳だが、何故当時そんな様な言葉が話されていたのかが判るのかを考えてみるに、
一、歌舞伎の台詞
二、鶴屋南北やら十返舎一九等の作品に残る台詞
三、是は未確認だが、森鴎外辺りの作品にもそういう台詞が使われているとか
四、昭和初期迄存命であった、幕末を生きた古老の言葉を書き留めた物
これらを元に、類推して作り上げた言葉なのではなかろうか。

(注)
と思ったら、古文書から「口語の武家言葉」を探し出して研究した書が有る模様である。
とは言っても、矢張り古文書から「口語の武家言葉」を探し出すのにはかなり苦労したらしい。口語を記録した古文書は尠い様だ。
(参考)→
近世武家言葉の研究



何処迄信用出来るか

扨、時代劇の武家言葉は、同じ時代劇であっても、作品によって使い方はマチマチだ。
勿論、其の時代や地方に依って、武家言葉と雖も必ずしも同じ言葉を喋っては居なかったであろう事は想像に難くない。併し、時代劇の武家言葉に関して言えば、「時代がこうだから」とか「この地方では」といった設定とは関係無しに、作品毎に違っているだけだと言える。

例えば「子連れ狼」。
これは萬屋錦之助ヴァージョンと北大路欣也ヴァージョンとで、台詞回しに違いが有る(と思う)。
言う迄も無く萬屋ヴァージョンの方が古い訳だが、こちらの方が台詞回しが重厚で、原作の台詞回しに近い(と思う)。同じ作品のリメイクだから、当然時代等の設定は同じなのに、こういう事が起こる。
時代劇の此の傾向は、制作年代が新しくなる程、且つ、若者に人気の俳優が主役をやっている程強くなる様だ。
「若い視聴者に見て貰うには、解かり易い台詞回しで」
と云う事だろう。

こういう事は小説でも起こる。
菊池寛の小説に出て来る武士の言葉は重厚だ。菊池寛は明治二十一年生まれであるが、これが大正生まれの作家になると、武士の台詞回しにバラつきが出て来る。(といっても、明治生まれの作家の台詞回しに就いて、誰がどうで彼がああだ・・等と較べた訳じゃあないが)
昭和生まれの作家だと、殆ど重厚な台詞回しの作品が無い。先の「子連れ狼」の原作者・小池一夫の数尠い小説が、ちょっと目を引いた位だ。

この様に、作家や、TVの台詞指導者によって台詞回しが変わってしまうのだから、一体どの作品なら本当の武家言葉に近いのか、訳が分からなくなる。
或る小説で、
「『卒爾乍ら』と彼は声を掛けたが、こういう輩に限って、この幕末の御時世にこうした古風な台詞回しをするものである・・」
といった文章が有ったが、果たしてこういう文章を信用していいものなのだろうか。

或いは、
「されば其許にこれなる巻物を託したも、これ伊豆守殿が才覚」
と云う文章が有ったとする。この内容を伝えるに、これは考え得る限りの重厚な言い回しだと思うが、文章の全部が全部、この様な重厚な言い回しであった時代が有ったのか無かったのか。
「されば貴殿にこの巻物を託したも、これ伊豆守殿が才覚」
「したれば其許にこれなる巻物を託したのも、これ伊豆守殿の才覚」
「だとすればお主にこの巻物を託したのも、伊豆守殿の才覚だ」
作者によってこの様に言い回しが変わるだろうが、「どれがどの時代には有り得ない言い回しだ」と断言出来るのだろうか。
上で挙げた「近世武家言葉の研究」と云う様な研究書が有るとは云え、矢張り口語記録の絶対数が尠いのには違いないのだから、研究書とて様々な時代・家格・地方・ケースの言い回しの全てを説明出来る訳ではないだろう。



漫画の台詞回し

時代劇や小説ですらこの有様であるから、漫画や子供向けTVなどでは猶更である。此処では漫画に出て来る人物の台詞回しを考えてみよう。

漫画で武家言葉を喋るキャラクターの代表格と云えば、「忍者ハットリ君」だろう。
彼の言葉で印象深いのは、「ありがとうでござる」である。
この言い回しが不自然だと言ってしまうのは容易いが、一体こうした言い回しは誰が始めに考え出したものなのか。
NHKの「ぜんまい侍」と云う漫画に出て来る忍者がこうした言い回しをするのだが、元祖はハットリ君だろうか。それとも夫れ以前に、「ありがとうでござる」とのたまう漫画のキャラクター乃至はTVキャラクターが有ったのだろうか。いずれにせよそう云う伝統を継承した言い回しであろう。

漫画というのは、こう云う伝統を無条件で継承してしまう傾向が有る。
「ワシがなんとかジャ」と云う口調で話す年寄りを依然登場させてしまうのも漫画の世界ならではだ。今どき「ワシがなんとかジャ」等と言う老人は、何処かの方言ででもない限り居るまい。

「ござる」と云うのは、言って見れば「ございます」より若干丁寧さを欠いた表現と言えるだろうが、まあ「ございます」として考えてみれば、
「ありがとうでござる」
と云うのは、
「ありがとうでございます」「こんにちはでございます」等と云う言い回しをするのと同様で、文法上おかしいのは一目瞭然である。

「〜でござる」自体に、実は個人的には違和感を感じるのだが確証の無い個人的な思い込みなので理由は書かないが、仮に、
「誰だ」
「田中でござる」
の様に(いつの時代、どの地方のどの階級の武士が使っていたか知らないが)使っていたとしよう。この場合違和感は左程無い。だが、
「お主は何を使うて居ったな?」
と訊かれて、
「〜を使っていたでござる」
という答え方は如何なものか。
先に、「ござる=ございます(の若干丁寧さを欠いた表現)」だと仮定したが、この考え方だと、
「〜を使っていたでございます」
と言っているに等しく、これも用法としておかしいのではないか。「いた」という常体(?)文を使いながらも「でございます」という敬体文を語尾に付ける矛盾も気になる。
現代語の丁寧語に直してみれば、
「〜を使っておりましてございます」
とでもなろうから、ここから類推して武家言葉風にした方が、まだ聞こえが良くないだろうか。

もう一つ、「〜でござるヨ」の「ヨ」。
これも能く聴くが、武士が会話の中で本当に「ござる」の後に「ヨ」等と付けていたのだろうか。
山田風太郎の小説にも、こう云う言い回しをする忍者が登場するが、山田風太郎は大正生まれ、「ハットリ君」の作者の藤子不二雄は昭和8〜9年生まれだから、少なくとも「ハットリ君」以前にこういう言い回しを考えた人が在ったと云う事か。(山田風太郎が「ハットリ君」を見て真似した可能性も有るが)

こう云う言い回しが実際有ったのか無かったのか知らないが、近現代に入ってから考え出されたのなら非常に迷惑だ。私の子供達等も、平気で「ありがとうでござるよ」等と言って憚らないのだ。
この言い回しが間違っていたのだとしたら、子供達が大きくなった時が怕い。
日本贔屓の外国人にせがまれて、「武家言葉を喋ってくれ」等と言われ、
「こんにちはでござるよ」
等と言い出し兼ねない訳である。

併し「ナントカでござるヨ」の語尾の「ヨ」に関しては、個人的には違和感が有るものの、実際使っていなかったのかと言われれば、確かに保証の限りでは無い。
子供番組と云うより少年番組の範疇に入るであろう「るろうに剣心」も「ござるヨ」を使う。
この番組は少年番組と言っても、同じ少年番組の「がきデカ」等とは違い、もうちょい高い年齢層向けの漫画と言えるが、その割には台詞回しが「ハットリ君」の域を出ていない。
手元に「るろうに剣心」のコミック等が無いのでネットで検索した処、

「剣一本でも、この目にとまる人々くらいなら何とか守れるでござるよ。拙者は今も昔も変わらないでござるよ」
「今までありがとう そして・・・ さようなら 拙者は流浪人 また・・・ 流れるでござる」
「拙者はそんな真実よりも 薫殿の言う甘っちょろい戯れ言の方が好きでござるよ」

こんな言い回しらしい。
「流れるでござる」=「流れるでございます」に等しく、明らかにおかしな表現だ。
また、「ありがとう」とタメ口をききながらも「ござる」と敬語になる辺り、相手が対等だろうが目上だろうが、「武士は『ござる』を付けるもの」と決め込んでかかっている風情である。
(この間地方放送でこの漫画の再放送を観て知ったが、主人公の声が女だったのも気に喰わないところだ)



登場人物の言い回しの背景

さて、最近、能くファンタジー小説を書いてネット上に公開する若者を見掛ける。
其の設定では、「青い目、緑の長髪」等と、一体生物学的にどうなのかと思われる様な容姿の人間が活躍する洋風な物語なのだが、何故か其処に「武者風な喋り方が癖」の人物が登場したりする。
「武者風の喋り」と云うが、どうも中途半端な喋り口調が多く、例えば、彼等は決して、
「勘弁さっしゃれ」
等とは言わず、
「許してくれ」
程度の言い回しに留まる。
それはいいが、気になるのは、そうした話し口調が「癖になった」と云う、登場人物の背景を明らかにしない作者さんが多い事だ。

そういう若者の描く世界観は、海賊が登場するわ、登場人物の名前が和風だったり洋風だったりするわ、魔法は使うわ、異次元がどうとか言うわと設定が自由自在なのだから、幾らでも「武者風の話し方が癖になった背景」も描けると思うのだが、何故かそうしない人が多い。決めたくないのか。

設定が「現代」にも拘らず武家言葉を喋る登場人物がある漫画といえば、「キテレツ大百科」のコロ助があるが、
「〜するナリヨ」
と云う喋り方を何故するのかといえば、あれは機械だから、単純にプログラミングのミスだと考えられる。
初期の「ルパン三世」の五右衛門も「〜でござる」と言っていた様な気がするが、どう云う環境で育てばああいう喋り方になるのだろうか。

五右衛門を育てる時、親が、
「良いか、是よりお主には武家言葉を話す様、躾ける事に致す。と、申しても、そもそも先祖たる石川五右衛門が、伊賀の上忍百地丹波配下に在ったとは申せ、以後盗賊となり、武士扱いをされた事があったものやらどうやら能くは判らぬゆえ、石川五右衛門自体が武家言葉を話して居ったや否やは此の際考えぬ事に致すがの」
等と教え込んだとすると、
「〜致せ!」
「ハハ!」
「近う参れ」
「ハハ!」
等と、父親からの命令口調は覚えても、返す言葉の語彙が増えず、業を煮やした親父に、
「分からぬ奴。斯様の砌は『斯様斯様で御座りまする』とでも申すのじゃ!」
と仮にイチイチ返す言葉迄教わったとしても、会話して会得した言葉でない限り、そうそう身に付くものとも思えない。更には、親から教わって会得した場合、「目上から目下へ」「目下から目上へ」の会話は習得し易いだろうが、同輩に対する言葉遣いは習得し難いだろう。強いて言うなら、
「この書を読んで覚えよ!」
と、小説でもブン投げられて、独学で覚えたのなら分かるが、わざわざそうする理由がそもそも見当たらない。

「もののけ姫」をこないだ娘が観ていたので、私も観るとも無しに聴いていたが、もののけ姫も武家っぽい喋り方をする。尠くとも町人風ではない。しかし何故敢えて武家口調で話すのだろう。
能く判らんが、アレは多種多様な妖怪に囲まれて生活していたんだろう(?)から、五右衛門同様、日常生活で(武家なら武家階級の人間に囲まれて)得た話し口調とは考え難い。然も何故「男言葉」で、女言葉を話さないのだろうか。
武家の女なら、「黙れ!」ではなく、「黙りゃ!」。「してくれ」ではなく「してたも」とでも申さばようおじゃりましょうえ。

「ハットリ君」なら其の点、武家言葉を覚えた背景を推測し易い。
「カンゾウ。お主は是より服部家当主として、武家言葉を会得致さんければ相成らん。尤も、先祖半蔵が伊賀同心、即ち武士として仕えたはホンの一時。然も其の後改易に処せられ、服部家は断絶の憂き目に逢うたゆえ、何も我等が武家言葉を話さんければならぬ理由とても無かろうがの」
等と、ハットリ君が親から教え込まれたのは五右衛門と同じだとしても、ハットリ君は伊賀の「忍者の里」で育った由である。「伊賀の里」には、さぞや伊賀同心の末裔が多く生活していよう。従って、ハットリ君を取り巻く環境は、五右衛門のそれよりも、武家言葉を習得するのに適したものであったと言えるだろう。

加えて、ハットリ君は伊賀忍者の頭領の嫡子で、言ってみれば若殿様みたいなもんだろうから同輩との、所謂「タメ口」等は経験していないだろうが、部下達が朋輩同士で喋っているのを聴いてもいたろうから、此の点に於いても先の五右衛門より恵まれた環境で育って居り、その気になりさえすれば、「武家言葉でのタメ口」も扱えるだろう。

併し、それにしてはハットリ君の言葉は丁寧に過ぎる感が有る。
ケンイチ氏に対しては、あの喋り口調で問題は無いが、敵のケムマキに迄「うじ」を付けるのは如何なものか。
そう考えると、弟であるシンゾウへの口調も、「〜ござる」式ではないにせよ、武家の嫡男として相応しからぬ口調と言えなくも無い。



ではどうしたら良いか

ではどうやったら、本物の武家言葉を知る事が出来るのだろう。
これは上でも言っている通り、研究書で調べても土台無理な話だ。
芝居のセリフ等から推測すると云う方法も危険だと、前出の「「近世武家言葉の研究」でも言っているらしい。
結論としては「無理」なんだろうが、本物の武家言葉を復活させる事は無理だとしても、新たに作っちゃったらどうかと思われる。

それには「日本語の多様さ」を残すと云う観点から、私案だが、小説やら時代劇のセリフやらは、矢鱈と難解な、且つ武家っぽい言い回しを使いまくる事により、それっぽいのを残す事が出来るのではなかろうか。
なろう事なれば子供番組もこの方法でセリフを付けたい。
(落語だから本当かどうか知らんが、「佐々木政談」と云う噺に登場する子供達は、「御奉行ごっこ」をするのに立派な江戸の武家言葉を用いている。落語と云うものは成立年代が特定し難いものだろうし、この噺は大坂で出来た噺だというから些か真実味が薄いが、若しかしたら当時はこんなもので、大人の言葉を単語単語全て理解出来なくとも、意外と自然に聴いてほぼ理解していたのかも知れない。それと同様に、現代の子供達も、アニメでこうした喋り口調を聴いていれば、其の裡何となく覚えてしまうのではないだろうか。「どうせ理解出来まいから平易な現代語で」とセリフを決めてしまうのは過保護というべきだ))

今の子供達が大人になった頃には、今の「ハットリ君」の対象年齢層も「るろうに剣心」の対象年齢層も、等しく「萬屋版・拝一刀」のセリフが理解出来る世の中になっている事を切に願うものである。
(民主党の政策の結果、その頃の日本は中国に併合されていて、日本語禁止になっていたりして)


「武家の生活」に戻る 
「ホーム」へ戻る