番外編

 
 
昔話のエピソード
1、鬼婆 

昔話に出て来る鬼婆。
ぱっと思い付くのは、山で迷って一軒の家を見付け、一夜の宿を頼んだら、一人暮らしの老婆が快く承知して呉れた。
扨、夜中になって主人公が目を覚ますと、隣の部屋から妙な音がする。ハテ何事かとソッと覗き見ると、口が耳迄裂け、白髪をざんばらにした昼間の老婆が包丁を研いでいた。といったエピソードか。
こうした話では、主人公が此の後猛ダッシュで迯げ出す等消極策を採るケースが多い様だが、攻撃は最大の防御。何とか積極的に攻撃をして状況を打開出来ないものか。
其の為には先ず鬼婆の運動能力を知っておく必要があろう。
以下に昔話からのエピソードを抜粋して、其の運動能力を見てみよう。
(とは言え数学が苦手な私には、kw/hだとかJ(ジュール)だとかいった単位を持ち出して、数字で検証するのは無理だが。)

@、「三枚の御札」に出て来る鬼婆
山中で小僧が一夜の宿を求めると、人の良さそうな婆あが快く應じる。
其の晩、眠っていた小僧が目を覚ますと、隣室から刃物を研ぐ音が。
恠しんで隣室を覗くと、其処には白髪をざんばら(山形弁では「ザンギリ」と言うらしいが、どうも文明開化の音がしそうである)に乱し、口の耳迄裂けた鬼婆が出刃包丁を研いでいる。
これはヤバイと思った小僧は、
「ちょっと便所さ行ぐなだ〜」
と便所に入り、小窓からだろうか、脱出に成功する。
小僧を追い駆ける鬼婆。小僧は師匠に貰った御札を、迯げ乍ら後方の鬼婆に向かって投げる。
一枚目の御札は大河(幅500mと仮定)になるが、鬼婆はこれを泳ぎきって猶、全力で迯げる小僧に追い付かんとする。
二枚目の御札は巨大な砂山(45度の傾斜で全高20mと仮定)となる。登るに登れないが、これを越えて又もや小僧に追い付かんとする。
三枚目の御札は火の海(1000℃で幅500mと仮定)を生じる。遉がに鬼婆も火には敵わず焼死する。
話のヴァージョンに依っては、御札は三枚とも効かなかったが、小僧は何とか寺へ迯げ込む事に成功する。
恰度端午の節句時期だった事も有り、寺の門には菖蒲と、魚の頭の串に刺したのが飾ってあり、鬼婆は門に這入れず、すごすごと帰って行く。そして二度と里へは降りて来なかった。
(此の話をもっと詳しく)


(まとめ)
走る小僧にスグに追い付かない事から、平地を走る速度はイマイチだが、泳ぐ速度は凄まじく、砂山を登った脚力も尋常ではない。また、心肺機能(構造が人間のそれと同じならだが)もアスリートの様に恐ろしく高い。が、火には弱い(と云っても、火に飛び込むんだから、ちょっと位の火なら大丈夫という成算が有っての事だとしたら、ターミネーターばりか)

亦、昼間は普通の婆あであったものが、夜中には口が耳迄裂けている事から、頬の構造が普通の人間と異なる。
※話のヴァージョンに依っては、小僧を呼び寄せる爲に小鳥を使役して子供を誘導する妖術をも心得る。

A、「牛方と山姥」に出て来る鬼婆(山姥)
漁師が大漁を喜んで、魚を魚籠に一杯に詰めて、牛を牽き乍ら帰る途次、いきなり後ろから鬼婆が「魚一本寄越せ。さもねえどベコ(牛)も喰ってすまうぞ!」と叫び乍ら髪を振り乱して追い駆けて来た
。(怖えぇ〜!)
漁師は魚籠の中から魚(海魚。体長30cm、幅8cmと仮定)を一尾、また一尾と後方へ抛り投げる(全部で十尾前後と仮定)のを、鬼婆は次々と骨ごと喰ってしまう。
全部投げてしまうと、「ベコを寄越せ。さもねえどお前ぇも喰ってすまうぞ!」と言うので、ベコ(700kgと仮定)も手放す。
牛もすっかり喰ってすまうど、案の定漁師をも喰おうと追って来た。
川が在ったので、漁師はそれを泳ぎきり、後方から来る鬼婆に向かって、
「流れの速えぇ河だから、懐ィ石ころ詰めて渡らねば流されてすまうぞ!」
と声を掛けて迯げる。
お人よしも甚だしく鬼婆は正直に其の通りにして河を渡ったが、当然重みで難渋し、時間のロスを生じ、漁師を見失ってすまっだど。
漁師は一軒の家を見付け、誰も居ないのをいい事に其処へ転がり込んで(不法侵入)身を隠したが、何と其処は鬼婆の家で、鬼婆が帰って来てしまった。
漁師は屋根裏に隠れて鬼婆の様子を窺って居たが、鬼婆は疲れて木の箱に這入って(何で!?)寝てすまっだけど(寝てしまったとさ)。
漁師は鬼婆の眠りが深くなるのを俟って下に降りて来ると、木の箱に穴を開け、中に熱湯を注ぎ込んで殺してしまう。
明朝、漁師が木の蓋を開けてみると、中には古くなった下駄の片方が入っているばかりであった。だから、物は大切にしなさいという御話。
熱湯を注いで下駄の気を抜けるんだったら、捨てる時に予め熱湯を掛けておいたら斯様な事にはならなかったろう。
(まとめ)
・鬼婆の正体は下駄だったが、下駄程度の質量のものが、デカイ魚を何尾も、更に牛一頭を食って、更に人も食える余力を残す
。(物語では更に鍋一杯の甘酒と、餅も食ってから寝ようとした)
喰った物が全て下駄の中に納まっているとしたら、下駄の重量は700kgを越す。其の密度は如何程か。
亦、牛を一頭解体するのは、普通の人間ならエライ作業だろう。それを主人公が遠くへ去る前に綺麗に喰ってしまうのだから、其の腕力は想像を絶する。顎の力などワニより凄まじいに違い無い。
・古くなったから捨てただけなのに、人の収穫は奪う、家畜は殺す、食人も犯すという、過剰防衛著しい暴挙に出る。

B、「喰わず女房」に出て来る鬼婆
「一晩泊めておごやい」
と、男の家を訪うた謎の女。次の日になると、
「私はママ(飯)が嫌いだからカ(喰わ)ねたっていい。だから嫁にしてけろ。」
というので、吝嗇な男は、是は究竟とばかり、謎の女を嫁に貰った。
飯は喰わない筈だが、併し米櫃の米の減る速度が異常に速い。おかしいなと思って或る日、仕事に行く振りをしてUターンして自宅に戻り、屋根裏に隠れて嫁の行動を監視。
男が監視して居る事に全く気付かない女房は、エライ量の米を炊いて、そいつを赤ん坊の頭位のでかさの握り飯にしたかと思うと、おもむろに髪を解き始め、頭頂部に有る巨大な口(摂餌器官)に握り飯を押し込み始めた。
男は屋根裏から地上に降り、たった今仕事から戻って来た風を装って、
「今日は早目に仕事を終わらせて帰って来た。おらもう嫁は要らねぐなったから、山さ帰れ、は。」
と離婚を告知。嫁は「こんなに働いたんだから、空になった味噌樽を一個けろ!」と味噌樽を背負ったかと思うと、其の中に男を押し込み、忽ち鬼婆の正体を現じて一目散に山へ向かって駆け出した。
味噌樽の蓋は開いた儘だ。男は其処から進行方向へ目を遣ると、前方に木の枝が見えた。木の枝の下を通過すると同時に、男は木の枝に掴まって樽の中から脱出。鬼婆とは反対方向へ迯げ出した。
樽の重量の変化に気付いた鬼婆は早速男を追い駆ける。
あわや追い付かれそうになった時、男は付近のブッシュへ身を投じた。其処は菖蒲とよもぎの多く群生する地点だった為、鬼婆は其の匂いに辟易して帰って行った。
(まとめ)
・頭頂部に摂餌器官の有る事から、解剖学的に人間とは異なる。
・先の話にも有った様に、菖蒲などの魔除けの意味の有るアイテムを嫌う。そして、一度其の中に迯げ込んだ獲物は、いとも簡単に諦め、然も二度と手を出そうとしない。
・大の男と大きな樽の重量を背負って山道を駆け上がる体力は、もはや只の婆ぁではない。
・物語冒頭で男は「俺はママ(飯)喰わんにぇ嫁ごが欲しい」と言う。鬼婆はだから「飯を食わない女」という触れ込みで嫁になる。が、第一に物語の進行上、男が吝嗇である必要は無く、第二に鬼婆だってわざわざそんな家に「飯は嫌いだ」なぞと偽って潜り込む必要は無い。

C、安達ケ原の鬼婆
奈良時代、京都の公卿の娘に付いていた乳母に「岩手」という者が居た。
公卿の娘は難病を患って居り、醫師(旅の坊さんだったか)の話では「妊婦の肝を飲ませると良い」と云う。
乳母たる岩手は主命とて、妊婦を探し出して肝を奪う旅にと出た。(山田風太郎の忍法物か!)

旅に出た岩手は、何だかんだで奥州岩代は二本松の安達ケ原迄足を伸ばしていた。よくもそんなトコ迄来たもんだが、途中に幾らでも妊婦など居ように、其処迄到達する迄に何の収穫も無かったというのも、或いはサボっていたんではないかとも思えたりする。然も其の時岩手は既に婆さんに成っているのだ!何をしてたんだ一体?
(一応理由としては「妊婦などそう居るものではないから」だそうだが)
で、岩手は諦めたのかヤル気が無くなったのか、そんな原っぱに草庵を結ぶ。(基本的に岩屋に棲んだと云う事に成っているが、「安達ケ原ふるさと村」の再現劇では木造住宅に成っている。)そして其処で獲物を俟つのだが、そんな野中の一軒家に獲物がそう来るか!?
と思ったら来た。自暴自棄に陥ってそういう無茶苦茶な俟ち方をすると、却って向こうから獲物が寄って来る事もあると云う事か。

獲物は夫婦でやって来て、一夜の宿を所望する。
旦那の方が所用で外に出て行った隙を狙って、岩手はおかみさんの方を刺殺する。
が、死体の特徴やら所持品やらから、其の女は昔生き別れた岩手の娘であった事に気付いてしまう。
余りの事に岩手は発狂して鬼婆と化した。

時は流れて、紀州熊野の僧、東光坊が安達ケ原山中で一夜の宿を求めると、一人住居の老婆が東北弁で快く應じた。老婆は言う。
「これから薪を拾って来ましょうが、其の部屋だけは覗いて呉れるな。」
と。
東光坊は諒解したものの、どうも矢張り気になってしょうがない。で、結局覗いてしまった。此の辺り、煩悩解脱の修行が成っていなかったといった処か。
覗いてみたら、中には無数の人の「喰いかけ」が。
「何と、是は兼ねて聞く鬼婆の住居に相違無し。」
慌てて其の家から飛び出すと、可及的速やかに其の家から遠ざかる行動に移る。
が、それに気付いた鬼婆は、何と飛行し乍ら追って来た。
東光坊はおもむろに背負っていた笈を下ろし、あたかも地対空ミサイルを準備する様に如意輪観音像を取り出して読経を開始するや、観音像は赤外線追尾システムを持つかの如く舞い上がり、上空で閃光を発して鬼婆を撃墜する。
(まとめ)
・普通の人間が発狂して鬼婆と化す辺り、理性のタガが外れてデーモンに合体されたとも考えられる。
・京都在住だった婆あが「安達ケ原ふるさと村」の再現劇に拠れば東北弁と化す。
・空を飛ぶ。
・魔除けアイテムには矢張り弱い。

<結論・若し闘わば>
夜中に目を覚まして隣室に鬼婆を見た時、手持ちの軽装備で立ち向かうのは危険だ。其の体力からして、プレデターと闘う様なものか。
まして700kgの牛は数分(推定)で喰うわ、妖術は使うわ、空を飛ぶわと来た日には、プレデター以上と言っても過言ではあるまい。
「スーパーマンvs鬼婆」という映画をハリウッドが作ったらいい勝負か。
否、妖術を使われたらスーパーマンでも恠しいので、「
マイティ・ソーvs鬼婆」が理想的だが、マイティ・ソーは一般に馴染みが薄いので、茲は矢張りスーパーマンに中国の道観(道教寺院)で修行して貰って道士となって貰い、「霊幻スーパーマンvs鬼婆」が妥当か。

扨、並の人間では敵わないであろう事は察しがついたが、では鬼婆同士が戦ったらどうなるだろう。
茲で鬼婆同士の能力差が問題となろう。何故なら、或る鬼婆は普通の人間が発狂して鬼婆となり、或る鬼婆は下駄が得道して鬼婆と化した。
亦、或る鬼婆は人間を喰うのに先ず包丁で捌き、或る鬼婆は素手で牛を一頭まるごと数分で食い尽くす。
更に、或る鬼婆は頭頂部に摂餌器官を持ち、或る鬼婆は口の幅を自在に伸縮させ、髪の毛を随意に動かす事が出来る。
其の上、妖術を使う者があるかと思えば、只々剛直パワー型の者がある。是等の鬼婆は恰も別の種の生物と言ってもいい。

それで云えば、「三枚の御札」に登場する鬼婆が最強だろうか。
体力的には問題無い上、小鳥を使役する程度だが妖術も使う。
併し、漁師を追い駆けた鬼婆とのパワー較べとなった場合、果たして勝るだろうか。三枚鬼婆の方は人間を喰うにも包丁を用いるが、漁師鬼婆の方は牛を素手で殺して喰うのだ。だが漁師鬼婆の方は、懐に石を入れていたとは云え、泳ぐスピードは遅い様だし、漁師に即座に迫らんとしなかった点も、スピードに欠ける可能性を匂わせる。
共食いとなった場合、三枚鬼婆はフットワークを利用して戦うべきだろう。
ヒット&ウェイの攻撃で相手の体力を奪うか、あわよくば背後から一撃必殺の有功打を与えたい。妖術に由る目晦ましも有功だ。

では安達ケ原鬼婆の「飛行能力」で、他の鬼婆に勝ち目は有るか。
鳥類と同様の機敏な動きが出来たとしたら、安達鬼婆の攻撃も侮り難いだろう。
例えばカラスと人間では人間の方が力は強いだろうが、上空から飛来するカラスを想像すると、是は却々に脅威だ。カラスならまだしも、鷹や鷲に攻撃されたら是は恐ろしい。
安達鬼婆も、嘴や鈎爪に相当する様な武器を持って急降下と急上昇を繰り返す攻撃をしたなら、上手い具合に敵の急所を切り裂く事が可能かも知れない。
亦、上空から投石をされたとしたら、是も脅威と成る。
高所から落下すると、石と云うのはかなりな破壊力を発揮するものらしい。体力自慢の鬼婆の事だ。数百個の拳大の石を持った儘上昇し、上空から引っ切り無しに空爆したら、非常に有効な攻撃となるものと思われる。

 

ところで、夜中に目を覚まして隣室に鬼婆を見た時、手持ちの軽装備で立ち向かうのは危険だろうとは察しがついたが、糞婆あ如きに有効な対処法が「迯げるだけ」というのも口惜しいという事も有る。其処で、何か憂さ晴らしは出来ないものかと考えた。
「恐ろしい形相の鬼女とも言うべき存在と鉢合わせした時に、充分対抗出来る対象」
と言えば、そうそう、
「夜中に神社の敷地内で藁人形に五寸釘を打ち付ける、白装束で頭に点灯させた蝋燭を立てた五徳をかぶった女」
が居るじゃないか。

肝試し半分で、暇な男二人が神社の敷地内の林の中を夜中歩いていると、進行方向の延長線上から何やら金属音が響いて来る。
「おんや?こんげな夜中に何だべ」
と、忍足で歩を進めると、何やら明かりが。見ると、火の点いたロウソクを五徳に挿したものを頭にかぶった白装束の女が、髪振り乱して一心に藁人形に釘を打っている。
遉がに一瞬「ギョッ」とした二人が、「おわっ」と声を上げると、女がコチラをバッと振り向いて、
「見たなあぁ〜!」
と云うや、金槌と五寸釘を振り上げて走って来る。

こうした場合、大抵はパニックに陥って、こちらも逃げ出してしまうものだ。が、併し俟て。相手は只の若い姉ちゃんだ。何も逃げる事等無いではないか。トンカチとクギなんて、接触しさえしなければ恐るるに足らない。立ち止まって、おもむろにキックボクシング式のガードスタイルを取ろう。

茲で一つ、情け無い話だがエピソードが有る。
或るお化け屋敷に入った時、いきなり後ろから宇宙人のマスクをかぶった仕掛け人が追っ駆けて来た事が有る。
矢張り一瞬「ギョッ」とした私は迯げ出した。が、人間と言うものは変なもので、「逃げても解決に成らない」「追っ駆けられる謂われは無い」と思ってしまい、立ち止まって身構えてしまった。
害意の無い事が明らかな相手に身構えるとはホトホト情け無い話だが、茲で言いたいのは、「身構えられた方は一瞬怖気付く」という事である。
私も歯を食いしばって今にも殴り掛らん態だったのもあるが、お化け役の人は、立ち止まって後退せんばかりとなってしまったのだ。(後で謝ったが・・)

だから、呪詛姉ちゃんに追っ駆けられた時も、其のガードスタイルは獣の様な呻きを発し乍ら、力を籠めた前傾姿勢で臨もう。
呪詛姉ちゃんも一瞬ひるむかも知れない。

まあ姉ちゃんが怯む怯まないはどうでもいいが、相手は武器を持っているし、襲って来たのは先方だ。正当防衛だからこちらも攻撃するのに遠慮は要らない。存分に殴打してやろう。
併し過剰防衛の誹りを受けるかも知れないから、一応、
「やめて下さい!やめて下さい!」
を連発し乍ら、拳でなく、掌底で、相手の鼻やジョー(あご横)を叩くのが理想的か。
叩き方は「骨法」の打ち方が参考に成る。
それにドサクサであるから、一発二発、腹を蹴るくらいはいいのではないか?
ムエタイの様に、腰を前に突き出して、押し込む様に蹴るのがよい。

 
昔話のエピソード
2、貧乏の神と福の神 

或る家に若い夫婦が棲んでいた。貧乏だったが何とか大晦日を迎え、
「さあ御湯でも飲んで寝んべ、は。」
とて床に就こうとした処、天井からすすり泣く様な声がする。普通ならぶったまげて家から飛び出す処だが、何と其処の家の旦那は豪胆にも天井裏を覗き込み、
「おみゃあ誰だ?なぁすて泣いでる?」
と問い掛ける。
其処に居たのは貧乏神で、貧乏神曰く、
「俺はな、ビンボの神だぁ。此処が気に入って長ぇ事居だけんども、おめえたづ(御前達)が、あん〜まり働ぐもんだから、俺は此の家を出〜で行がねばなんねぐなった。今夜の裡に福の神が来で、俺どこ(俺の事)、追い出すてすまうなだ・・・。」
という。
夫婦は判官贔屓の日本人の特質丸出しにも、
「ビンボの神ビンボの神。是も縁と云うもんだべ。今迄居てくったんだがら、今からでもずっと居てけろ。なぁに福の神なの(等)来たら、おら達が追っ払ってやる。」
と言ってくれた。
そうこうする裡、福の神がやってくる。
「やい貧乏神、此処はおめえなの(おめえなどの)居るトコではねえ。是から俺が入るんだ。オメなの(等)とっとと出てげ!」
「いや、此処の家の人達ゃあ、俺が此処に居てもいいって言ってくれたんだ。此処は俺の家だ。おめえこそ出てげ!」
「出て行け、出て行かねえ」の押し問答の末、何故か二柱の神は、相撲で白黒つける事と相成った。
併し、骨と皮ばかりの貧乏神に比して、福の神は丸々と太って力も強そうだ。(是は私の経験からも言えるが、デブは腕相撲等も強いのだ。恐らく自分の体重が負荷となって、常に筋肉を刺激しているからだろう。)
貧乏神が押し込まれそうに成った時、夫婦が貧乏神の背中を押して合力した爲、福の神は玄関先に押し倒されてしまった。
福の神は、
「嗚呼こげな馬鹿な家はあったもんじゃねえ。嗚呼馬鹿臭ぇ馬鹿臭ぇ。こんた(斯様な)所さ居るもんでねえ!」
と、早々にたち帰ってしまった。
併し、福の神が立ち去った後、何かがぶん投がってあるのに気付いた夫婦は、
「貧乏の神貧乏の神、福の神何か忘れてった。是は何と云う物だべ?」
「是はな、うっつのこ(打出の小槌)っつうもんだ。こやって振っとな、ほーすっと何〜でも出て来んなだ。」
と、実際に使い方を実演して見せる。
「米出ろ!」と言うと米が出現し、「酒出ろ!」と言えば酒が樽単位で出現。「小判出ろ!」と言えば小判が、「ベコ出ろ!」で牛が、「蔵出ろ!」で蔵が夫々出現し、夫婦は長者に成ったという。
更に貧乏神も、何時の間にか福福しく太った「福の神」になっていたんだど。どんび、すかんこ、ねえけど。

<疑問>
[貧乏神とは]
貧乏神だったものが福の神になる。これはどうした事か。
先ず、勝手に職換えしていいものなんだろうか。
物語の初めで、貧乏神は自分の代わりに福の神が来る事、つまり人事異動を知っていた。と云う事は、事前に何らかの連絡が貧乏神・福の神双方で有った筈である。
仮に其の連絡が間接的なものであったとしたら、彼等の人事を決定する組織が有る事に成る。其の組織に上司ともいうべき存在が有ったとすれば、上司の決めた人事に反撥しての事だろうから、これは大事件にはならないのか。
思うに、貧乏神は福の神を自称してはいても、組織の辞令を受けての事ではないのだから、厳密には福の神という役職には無く、単に「貧乏神の職務怠慢」という事に過ぎないのではないか。
然も、「打出の小槌」という他人の持ち物を失敬して勝手に使っている。これがもし組織の所有物だとしたら、それで私服を肥やしているんだから、これは横領だろう。

いずれにしろ、貴方が家でのんびりしている時に、天井裏からすすり泣く様な声が聞こえた時は、驚いて下ヨシコ師に電話する前に、先ずは「おみゃあ誰だ?なぁすて泣いでる?」と訊き質してみよう。いい事があるかも知れない。

[打出の小槌とは]
打出の小槌を振って出てきた物を考えよう。
先ず小判。
是はどっかから失敬して来た物でないとすれば、偽造通貨である。
偽造通貨でないとすれば、どっかから失敬してきたものであろう。
或いは「福の神・貧乏神を司る組織」の誰かが、小槌を振った時のリクエストに応えるべく、人間に化けてアルバイトでもして稼いだ物か。

次に「米と牛」
これ等は生物である。
これらも矢張り、どっかから失敬して来た物なのか。
そうだとしたら失敬された方の怨恨凄まじいものがあろう。小判もそうだが、そんな怨念の籠った物を貰って気持ちのいい訳は無い。
では、失敬して来た物でないとしたら、打出の小槌は生物も製造可能なのか。
それは地球上の、或いは実在の生物でないといけないのだろうか。
例えば、「ツチノコ出ろ!」と叫べば出て来るのか。
人間の持つ「ツチノコ」のイメージを元に、小槌の自己判断でツチノコの生物学的特長を決定して造り出したりしないのだろうか。
米と牛は、偶々既知の生物であるが、では未知の生物ではどうなのか。
例えば、
「何十万光年先でも構わない。私の指差す方向に在る、生命体の存在する最も近い星系に存在する知的生命体を全て出せ!」
と叫んだらどうなるのだろう。
また、未知の生物というものには、「現在は居ないが、未来に出現するもの」というものもあろうが、現存する生物でないといけないのだろうか。
例えば「ジュラシック・パーク」では、「恐竜の遺伝子を発見したが、欠損部分も有った為、カエルの遺伝子で補って創った」という生物が出て来る。言う迄も無くそんな生物は今は居ない。仮にそれを2050年に実現させたとしたら、此の時代(仮に西暦1000年前後としよう)に、それを出現させる事が出来るのだろうか。

最後に「樽と蔵」
基礎工事もせずにいきなり建設される蔵の対震強度は如何程だろう。地震国日本としては、こうした欠陥建造物の放置を見逃す訳にはいかないだろう。
兎に角「樽と蔵」。これ等は人間の発明した物である。
だとしたら、「電球出ろ!」「キャデラック出ろ!」は矢張り駄目なんだろうか。
また、「発明されたら面白いな」という物では駄目か。
例えば「ドラえもんの世界観で云う『四次元ポケット』の様な物」という表現ではどうだろう。
又、ドラえもんの道具で、「其の嘘ホント」という内服薬が有る。是を呑んで何か口走ると、言った事が其の儘実現すると云う代物である。
これを打出の小槌に出させるとしたら、
「呑んでから初めて口にした一つの事柄が実現する液体を出せ」
という表現になろうが、出す事は可能だろうか。
既存の物しか駄目というんであれば、「打出の小槌を予備に三つ出せ」でもいいだろう。
芸術作品ではどうだろう。
刀剣なども、芸術というか、匠の域に達した者ならではの作品が有る。
例えば、
「延宝二十二年八月刀銘『井上真改』を出せ!」
と言ったとすると、単純コピーなら出来るだろうが、
「延宝二十二年八月刀銘『井上真改』・・・・・それに匹敵する業物を出せ!」
と言ったら、刀剣鑑定家達を納得させ得る程の業物を創作出来るだろうか。
それから、まあ出せと言えば出るだろうが、どういう風に出て来るんだろう?というのもある。例えば電気だ。「電気出ろ!」と小槌を振ると、ちょっとスパークが生じて終わりだろうか。「レーダー波出ろ!」「極超短波出ろ!」「アルファ粒子出ろ!」「反陽子出ろ!」と、いつまでもやっていたい。「重力子出ろ!」にはちょっと興味アリ。「タキオン」もね。出たんだか出てねんだか判らんだろうけど。

大体、蔵を造り出す程の材料を、どっから調達して来るんだろう?
蔵は、どっかから瞬間移動して来たとすれば、代わりにどっかの蔵が消滅している筈である。
何処の蔵も消滅していないとしたら、現在地球上に建っている蔵の総数に加えて、もう一つ蔵が地球上に出現した事になる。大気の成分から合成したんだろうか。
では、無い筈の天体を指定したらどうなるか。指定の天体を宇宙空間に出現させる様指示したら、物質の希薄な宇宙空間から、例えば水素などを天体の質量に成る迄かき集め続けるんだろうか。核融合反応で生じた莫大なエネルギーを放出させ乍ら。
或いは何十光年(か何十万光年か知らんが)も先の物質の密度の高い場所から物質を持ってくるのか。亦は近場の小惑星帯などの岩石から材料を調達するだろうか。
「月と同じ物を、火星を安定して周回する軌道上に出せ」
と指示したのち、急いで天体観測可能な施設に奔ってみたい。

併し、飽く迄「小槌から出る」出現方法でなければならないとしたら、「月を出せ」と言ったが最後、地球の0.012倍の質量(7.34×1022kg)の物体(月)が小槌から飛び出し、5.97×1024kgの質量を持つ物体(地球)と接触。互いの巨大な重力で押し潰し合い、地球や月の構成物質が宇宙空間に吹き上げられるだろうか。
或いは、小槌で合成される物質の原料が付近から調達されるものだとしたら、地球の質量がまるまる7.34×1022kg削ぎ取られて擬似月を構成し、5.97×1024kg−7.34×1022kgの質量を持つ地球と7.34×1022kgの月とが接触する事になって
(大気の質量も原料として使われるなら計算が違ってくる?)
、五体満足の地球と月が接触した時程の重力の相互作用を引き起こす事は無いだろうか。
いずれにせよ地球は無事では済むまい。

 
昔話のエピソード
3、雪女 

雪女というのは、風に乗ってアッチぃ行ったりコッチぃ来たりしているものらしい。
或る時、疲れ果てた雪女が(風に乗ってて疲れんのか。然も疲れる程ウロウロすんな。)一軒の家の前で、
「今夜一晩泊めてけらっしぇえ」
と頼むが、其の家の主は、
「俺ぁエエ(家)さ病人居ださけ(居るだから)泊めらんねえ。他当たってみろ」
と嘘を吐いてニベも無く断った。
雪女は諦めて次の一軒を探し、同様に頼むと、老夫婦が快く應じてくれた。
家の中へ請じ入れると、老夫婦は雪女を手厚く持て成した。
雪女は老夫婦の温かい情に負けて、布団の中で溶解してしまった。
次の朝、却々起きて来ない雪女を按じて老夫婦が様子を見に来ると、布団はぐっしょり濡れて(雪女・・推定45kg。全て水で構成されていたとすると布団及び其の周囲はエライ事に。嗚呼何たる災難哉!)、姿が見えず、頭陀袋が置いてあるばかりだ。
袋を開いて見ると、中には五十両だったか五百両だったかの金が。
老夫婦はそれで幸せに暮らしたが、先の宿泊を断った家の主人。これは後程病気に罹って、手当の甲斐無く死亡。
其の後も家の者が次々と罹病。遂には家が絶えてしまったという。

 

<疑問>
・雪女の置いていった金の出所には、矢張り「貧乏の神と福の神」で呈したのと同様の疑問が残る。
何の為にそんな金を用意していたのか。死に場所を探し、死に場所を提供してくれた人にあげる為だけに用意していたのだろうか?
どうやってそれだけの金を集めたのか。

・頭陀袋を開いて金を発見。それを其の儘、何の躊躇も無く使ってしまう人というのは、果たして此の話の謂わんとする「道徳観念」に合致しているのだろうか?
「人を助けるのはいい」というメッセージの反面、「めっけた金は使ってしまっていい」という考え方は、一体どっから来るのか。
当時の人々の考え方では、それは罪悪ではないのだろうか。
純粋に無知から「神仏から賜わった物」という事で、思考が夫れ以上進展しないからだろうか。
ちょっと、「人の金であっても、現世では借りているだけだから盗んでもいい」というムスリム的な発想を想起させる。

・宿泊を断った親父。
そりゃ、困ってる人を助けないのは非情だが、それでも家を絶えさせる程の罪だろうか。
大体、雪女がそんな要求を突きつけて来なければ、斯様な事態にはならなかった筈で、これはもう災難としか言い様が無いし、勝手に要求しておいて、「要求に應じなかったから家を絶えさせる」という思考は、まさにヤクザのそれだ。否、実際にそんな念力の様な方法で人を罹病させるんだから、ヤクザより性質が悪い。
雪女は自分が道徳の基準だとでも思っているのだろうか。
キリスト教は言う。
「神が人を裁くのであって、人が人を裁くのは良くない」
と。
況してや人を罹病させる様な神の様な力を備えている者が、こんなに感情的で、バカ姉ちゃん並みに判断力の乏しい癖に人を裁こう等とした場合、まさに「キチガイに刃物」。こういう様な悲劇が起こってしまうのだ。

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