東北武家関係写真館

 

宮城編

 
それにしても、此処に載せた写真は、そりゃ軽くする為にサイズは落としてあるけれど、最新の携帯電話のカメラの解像度にも劣る始末。
ラスト11枚の写真は一応最高画質で撮ったんです。それでこの写り。
そもそもがヴィデオムーヴィーにおまけで付いた様なディジタルカメラなれども、最高画質で190万画素しかないというのもきつい。
 
 
何ともセンスの無い角度から撮影した白石城。

蒲生家家臣・蒲生源左衛門築城。
上杉家臣・甘糟備後が再構築。
伊達政宗の右腕・片倉小十郎が改修して幕末に至る。

現在のは復元であるから、幕末で一遍ぶっ壊された訳であろう。

 
門に這入って行く。
 
更に這入って、側面を見たりする。
 
更に進むと画面右下のおっさんが登場。
此の日、凡そ百キロ離れた「白河城」も見に行ったのだが、其の時既に陽が沈み始める時刻。人寂しい城址公園で、何とまた此のおっさんと遭遇。
おっさんは何か言いたげであったが、当方からは敢えて声を掛けなかった。
此方は親子三人連れ、先方はオッサン一人旅乍ら、同好の士の共感を暗黙裡に感じ取った二人・・。

おっさんの情報求ム。

 
おっさんの拡大。
 
更に拡大。

ジェイソンのお面みたいな顔になってしまった。

 
一枚目とは反対側からの撮影。
 
天守から見た白石城下。
 
城内に何やら説明付きで、角に立て掛けてあるものがあったので撮影。

能々見たら、「瓦」「天守閣」「鯱瓦」とあり、別して武器の説明文等ではなく、後ろに立て掛けてあるのは何かといえば、単なる掃除用具であった。

 
白石城横に在る茶屋内部。

此処の「ずんだ餅」は旨い。
本場(?)仙台青葉城付近の某茶屋の「ずんだ餅」に較べたら雲泥の差。
第一香りが違います!

伊達政宗の居城付近の茶屋より、片倉小十郎の居城付近の茶屋のが旨いとは。

 
白石城敷地内の「歴史探訪ミュージアム」の展示物。

別段「撮影不可」とも書いてなかったので撮影する。
更にHPにアップする。

 
同上、刀。
 
同上、掛け軸。
 
槍と、何てんでしょう?

掛け軸というのでしょうか。

 
何やら書簡。
 
甲冑と鉄砲。
 
片倉家中・小関家。

所謂武家屋敷。

ついこないだ迄、小関家の子孫の方(御婆ちゃん)が棲んで居られたのを市が買い取ったという。

1761年の城下絵図には既に載っていたというから、エライものである。

改修はしたが、建材は殆ど元のものを使用。

 
土間は遉がにコンクリート。

1680年、松前家から片倉家に嫁した少林院市子の添人として白石に来た右衛門元成が初代という。

 
床の間と電気行灯。手前は愚息。

当然、屋敷内に便所は無い。普通は庭に在るものであるが、此の家の庭には最早残っていなかった。

 
家の門の前に堀が在り、鬱蒼と繁る木々と相まって、しっとりとしたイ〜イ雰囲気である。
 
武家屋敷の管理人さん。知識豊富で何でも答えて呉れる。
御蔭で極短時間に、愚妻→私→初老の紳士に全く同じ質問をされて全く同様に答えて居られた。

先の便所の件で、
私 「此の家に厠は無いんですね。」
管理人さん 「は?」
私 「厠・・・雪隠です。」
管 「ああ、向こうの事務所に在りますよ。」

いやいや、あたしが便所に行きたいなら「便所」って言いますわい!
自分が行きたくて「雪隠」なんて言いませんって!

 
仙台武家屋敷門。
以前訪れた時、時間が遅くて閉館してしまっていた為、満を持しての二度目の訪問。
「武家屋敷を再現」との売り文句が興味をそそった。

が、而して其の実態は・・。

内部撮影不可であった為、入り口に入る直前にヴィデオカメラを切ってしまったので此の映像しか得られなかったが、一見して判る様に、門の内部はどう見ても武家屋敷ではない。
実態は只のビルディングであった。
然も武家関係の展示物は凡そ半数に過ぎず、(?)なトリックアート竝びに地獄の様子だとか、個人的には「なんじゃそりゃ」なものであった。